keidai
梵鐘bonsho
国の重要文化財です。無記銘ながら、その古い形式的特徴から、奈良時代の鋳造と考えられており、当山で最も古い文化財です。
この鐘には次のような伝説と実説があります。
《伝説》昔、安原郡百々渕(どどがふち:現在の塩江町)に大蛇が住み、近隣の住民を悩ませていた所、弓矢の名人別次八郎が、当山、千手観音に「一矢当たれば千矢の霊験あれ」と祈願し、大蛇を見事退治した所、大蛇がこの鐘を冠っていたということです。竜神の夢告により、この鐘は当山に奉納されることとなったと伝わります。
《実説》江戸時代・慶長十四年二月二日、高松藩主生駒一正公が参詣の折に、この鐘の音の美しさをいたく気に入り、「朝夕の時の鐘に」と城に持ち帰った所、鐘は少しもならず、城内外に怪異が広まり、疫病が流行、一正公も病床に伏すこととなりました。
毎夜、鐘が一正公の夢枕に立ち「国分寺へいぬ いぬ(帰るの古語)」と泣いたということです。
これは鐘の祟りに相違ないと恐れられ、同年三月十四日に返されました。
この時に作られた歌が「鐘がものいうた 国分の鐘が もとの国分へ いぬ(帰るの古語)というた」というものです。
寺にはこれが事実であったことを示す当時の証文が現在も残されています。